第15回ツアービデオ完成

2009年12月の台湾ツアービデオがようやく完成しました。


ダイジェスト版から抜粋。編集したビデオのタイトルは“臺灣熊讚啦!”台湾むっちゃええわ~という意味です。

およそ20時間あった生の動画をおよそ90分にまとめました。これまでのツアーもビデオ編集におよそ1年を要していましたが、年々凝りに凝って今回は2年近くかかってしまいました。旅行に行く回数が多すぎて編集が追いつかないということも理由の一つのようです。

旅行メンバーや仲間の皆さんには今月25日に我が家で開く上映会でお披露目したいと考えています。

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第18回ツアー(4)

ハルビンで8月10日、ようやくメンバーが一人合流しました。中国で17回目のご一緒となる脂肪肝先生です。大阪から大連で国内線に乗り継いで、無事ハルビンへ到着しました。チケットの受け取りと搭乗手続きを中国語がほとんど話せない彼ではちょっと不安でしたが、大連在住の于小姐がわざわざ空港へ出向いて彼をサポートしてくれたため、とてもスムーズにいきました。于小姐に心から感謝。11日には私の中国語教室の同学G先生が合流し、4人が勢ぞろいしました。


聖ソフィア寺院前で勢ぞろいしたメンバー

ハルビンでは今回、誰かに会う予定は特になく、4人がそれぞれ自由に観光するスタイルを取りました。


旧ユダヤ中学校(現ハルビン市朝鮮族第二中学校)。屋根の上に六角形の星印(ダビデの星)が見えます。1930年代までユダヤ人がハルビン経済を担っていたという名残です。


1918年建立のイスラム寺院。こちらは屋根の上に三日月印が見えます。

私のテーマは「歴史建築物巡り」。ハルビンは元々ロシア人が建設した町であり、1930年代までは極東有数の国際都市でした。私たち夫婦の恩師は、年少の頃ハルビンで暮らしていました。隣の家にはロシア人一家が住んでいたそうです。当時のソ連から政治的迫害を受けたロシア人やユダヤ人、入植していた日本人、朝鮮人、先祖の代から住んでいた中国人が共存していた時代があるのです。その名残の建築物は多くが文化大革命で破壊されてしまいましたが、それでもなお多数が市民の努力で今日まで保存されています。

 


超人気レストラン「喀秋莎(カチューシャ)」のロシア料理。行かれる場合は必ず電話で予約を。中国語用とロシア語用の番号があります。余談ですが、下のビールはつい2か月前までロシアでは「清涼飲料水」でした。さすがお酒大国!

町ではロシア人観光客をよく見かけます。黒河から乗った国内線の飛行機で見かけた一家も私たちと同じホテルに宿泊していました。ハルビンは激動の時代を経てきていますが、今同じ町をさまざまな国の人たちが仲良く観光していることに、平和のありがたさを強く感じるのでした。

 
市内を流れる松花江の河岸で夕涼みをする人たち。ゆったり流れるそれぞれの幸せな時間を背中に感じますね…

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さよなら台湾

残念ながら、今回の台湾一人旅はこれにて終了。飛行機の搭乗ゲートまで来てしまいました。

今日の午前中は、迪化街でお決まりの乾物を買い物したり、デパ地下へ行ってみたり、はたまたお気に入りの茶館で昼食を取ったり・・・とまあ、余さず最後まで楽しみ切りました。今回もいろんな方にお世話になりました。さまざまな観光地の情報をいただいた今は日本にいる江小姐、「次はいつ来るの~?」といつも温かく迎えていただいたホテルの従業員の皆さん、素敵な中秋節のお土産までいただいたマッサージ店の老板、一人ひとりにとても感謝です。

 迪化街でのお目当ては水果乾。お茶請けに最高です。おススメはいちごか金柑

次回は年末の広東ツアーの予定です。私たち「迷上了中国!」メンバーのyaziさんがお住まいの広州を拠点にマカオ、深玔、香港などを回ってみようと考えています。深玔在住のワモンアザラシさんともご一緒するのが楽しみです。前回広州をツアーで訪れたのが2006年。この5年の間にまた恐ろしいほど町が変化したのでしょうね。

あ、次回からまた中国東北旅行の連載を再開します。こちらもぜひご覧ください。

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鶯歌

 

 

 

 

 

 

 

台北駅から台鉄に乗って約30分。郊外の「鶯歌」に行ってきました。以前、台北でご一緒したことのある台湾小姐の江さんから教えていただいた陶磁器の町です。

 

 

 

 

 

 

 

 

駅を一歩出ると人影がほとんどない長閑な町といった感じです。ただ、至る所に陶磁器を示す表示や看板。昔から工房の煙突が多く立ち並んでいたということです。10分ほど歩いて丘の上に行くと、目指す老街に着きました。陶磁器の工房や商店が並ぶ一角です。「老街」というだけに古い街を想像していましたが、「古く見せた新しい街」でした。店を一つ一つ回ると、大きな壺からキッチンの小物まで実にさまざまな陶磁器があります。いろいろ見た中で気に入ったデザインの茶葉を保管する茶罐を買いました。

さらに時間があればここからバスに乗って「三峡」へ行くのもいいそうです。客家の人たちが多く住む山あいの町で、そこの豆腐料理はとても有名だとか。次の楽しみに置いておこうと思います。

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台湾のテレビ

台湾へ来て楽しいのがテレビを見ること。実は政府の政策の一環で国民の10%を占める客家の人たち向けのテレビ局があります。それがHakkaTVです。日本では「客家」を「はっか」と呼びますが、同じ発音ですよね??

今日見たのは、客家の中年料理人とベトナム出身の若い花嫁のドラマ。少しタイプは違いますが、今日本で流行りの「中国嫁日記」に近い感じを受けました。こちらは40代のオタク男性と20代の中国人嫁の物語ですよね。文化・習慣の違いに戸惑いながらも温かい目で嫁を見守る中年の夫と本人は一所懸命で大真面目だけどどこか行動が面白おかしい若い嫁という構図がとてもよく似ています。こういう女性に世の男性は弱いものですよね。

もう一つは戦前の「霧社事件」を題材にした時代劇を見ました。「霧社事件」というのは台湾原住民が起こした最大の抗日事件で、日本の開拓民の多くが犠牲になりました。というのは、日本の立場の言い方で、日本の同化政策に対する反発が彼らを蜂起させたとも言えます。日本が台湾を統治していく過程には多くの血が流れたということも忘れてはいけない事実です。日本と台湾の歴史には、甘い部分も苦い部分も同居しています。そういう時代背景を念頭にドラマを見ると、どこか胸が痛くなります。

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行きつけのマッサージ店

私が定宿にしているホテルから横断歩道を渡ったところに行きつけのマッサージ店があります。毎回台北に来るたびにその店の老板(主人)や従業員の人たちとあれこれと会話して、さまざまな情報をいただいたり、文化の違いを確認したり、揚句にはいろいろなお菓子などをいただいたりとマッサージ以外の部分で楽しい交流を続けてきました。たぶん、マッサージをしなくてもずっと店でお茶でもいただきながら会話していると思います。日本でいうと行きつけの理髪店みたいなものでしょうか。

関空でお土産に買ってきたみたらし団子が早く食べないといけないということで、昨日の昼店を覗きに行きました。すると、店番をしている若い女性やマッサージのスタッフも知らない顔の人ばかり。「老板は?」と尋ねると「夜8時以降に出勤します」ということで、「お土産を老板に渡して」と言い残して出直すことにしました。

夜出直して行ってみると、懐かしい顔の人たちが。日曜日で昼間は休んでいたということでした。老板いわく土産物が大阪のものということは状況からして、彼に違いないと想像していたそうです。「当たり!」

前回行ったのが去年の12月。「奥さんはどうして一緒に来なかったの?」「前に一緒に来た友だちは元気にしてる?」「前に買いに行ってた『佳徳』のパイナップルケーキ、店は今まで以上に買う人で混雑してるよ」 とまあ、よく覚えていらっしゃること。 

冗談を言ったり、互いの近況を話したり、何だかいつもほっとします。自宅に帰って、近所の人と久しぶりに話をするような感覚です。違うことといえば、会話が日本語でなく中国語であるということ。でもそれとなく自然に自分が話をしているから不思議です。

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ある運ちゃんとの会話

台湾に来るとタクシーをよく利用します。気ままにタクシーの運ちゃんと会話するのも旅の楽しみの一つです。

 今日乗ったタクシーの運ちゃんは、50代後半から60代ぐらいでしょうか。わざわざ日本語で歌うテレサ・テンの曲を流してくれました。日本語は全く話せませんが、お母さんが日本人でお父さんも日本の学校に行ってたということです。

 「台湾に来る日本人は多いでしょう?」「最近は減ったね。大陸から来る人がものすごい勢いで増えてるよ」

 とにかく、大陸の人が嫌いという人でした。「礼儀を知らん」「年長者を敬わない」「不動産を買い漁る」「中国と台湾は別の国だ」立て続けに出てくる批判…

 私は大陸も台湾も好きですから、こういう話を聞くとあまりうれしくありません。確かに行儀が悪い人もたくさんいます。ましてや団体で旅行に来ると、そういう性質が際立つということもあります。私の友人にはそうでない人もいます。とても複雑な気持ちになります。

 2年前、中国から大阪へ留学している友人二人と台湾へ一緒に旅行しました。彼女たちが何か嫌な思いをしないかと心配でしたが、そういうことは全くなく、多くの台湾の方が彼女たちにも温かいもてなしで迎えてくれました。互いが互いを尊重し、敬うことができるなら、それぞれからの視点で見た文化の違いを比較してみるのもまた楽しいです。私から見れば、台湾は大陸と日本の双方の性質を持ち合わせた全く別の文化を持っていると思います。当然そこで暮らす人たちも独自のアイデンティティを持っています。難しい政治の話は抜きにして、お互いに個人の資格で楽しく話し合いたいと思います。

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嵐の中の出発

結局、一人で台湾へ行くことになりました。gongziは飛行機の揺れが苦手で台風の時期に台湾へ行くことに抵抗があったのです。結局、台湾で台風に当たらず、大阪で当たってしまったのですが…

台風12号が最接近する中、関空発の飛行機は多くが欠航になったり、大幅な時間変更を余儀なくされていました。ただ、私には予定通りに飛ぶという確信がありました。私が搭乗する予定のキャセイパシフィック航空は前日に飛行機がすべて到着し、関西空港で待機していました。欠航となった飛行機の多くは前日に母国から関空への飛行自体をキャンセルするか、日本の航空会社でした。

そして、予想通りほぼ定刻で出発したのです。通常なら滑走路は込み合う時間帯でしたが、離陸した窓からの眺めでは、私が乗る飛行機以外はまったく動きが見えませんでした。だとしたら、何と幸運なことだったでしょう。ともかくも予定通りに旅行を進めることができるのです! 

台北は昼間の気温がまだ33度ぐらいで数値上は暑く感じますが、体感上はさほど暑いということでもありませんでした。入国審査は比較的スムーズに終わり、荷物を受け取って、携帯電話ショップで新しい番号のカードを購入し、いつものようにリムジンバスで市内へと向かいました。大阪から出張帰りという台湾男性と隣り合わせになり、45分程度の短い時間ながら日台の食事や台北の名所など話が盛り上がって、メアドや携帯番号を交換しました。バスを降りて、ホテルまでのわずかな距離の間に現地の人から駅までの道を尋ねられて、案内しました。こんな私が台湾人に見えたのかしら…ホテルに着くと馴染みの従業員の女の子がわざわざ「久しぶり~」とあいさつしに来てくれました。うん、何だか幸先のいいスタートだ。

少し休んでから夜市へ買い出しに行きました。ホテルのすぐ近くにある私のお気に入り「大龍街」です。朝でも夜でも屋台があって、食事が充実しています。今回は鶏排(鶏の唐揚げ)、魯味(煮込み料理)、猪肝痩肉粥(豚レバーの味付け粥)を買いました。ホテルからサービスしてもらった缶ビールを飲みながら、台湾最初の食事を堪能しました。 

 

 

朝早く起きたためか、日ごろの疲れがたまっていたのか、気を失うようにして眠っていました。

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第18回ツアー(3)

8月9日、私たち夫婦は北京からハルビン経由で黒龍江省の黒河へ向かいました。アムール川(黒龍江)をはさんで、ロシアと国境を接する北の外れの町です。川をはさんだ国境の町といえば、北朝鮮と国境を接する丹東や図們が有名ですが、ほとんど衝動的にこの北の外れの町が見てみたいと思い、急きょ予定を変更して行くことにしました。

ハルビンでは大雨でしたが、飛行機が北へ向かうほど雲が晴れ、緑豊かな大地が見えてきました。もこもこした山がすぐ下に迫って来たと思いきや、そこが黒河空港でした。滑走路から周囲を見渡す限り、家も交通の往来もありません。飛行機はターミナルの前に無造作に停止すると、タラップが近づいて来て、乗客は思い思いに到着ゲートへ歩いていくではないですか。辺境の情緒があふれるローカル空港で何だかうれしくなってきました。ちなみに往路はさほどではなかったですが、帰りのハルビン行きは中国国内線にも関わらず、乗客の半数がロシア人でした。私の周囲の席はすべてロシア人。彼らと中国語で会話しているのが何とも不思議な感覚でした。

北緯50度は稚内のずっと北。サハリン中部と同じ緯度

ホテルに到着し、昼食を取った後、早速黒龍江の遊覧船に乗りに行きました。1時間半ほどで40元。それなりに価値があると思いますよ。黒龍江といえば東北随一の大河ですが、ここではさほど川幅があるわけではありません。川岸から見ても対岸のロシアの町がはっきりと見えます。船に乗ると、川の中央からさらにロシア寄りにまでぐっと迫ってくれます。道を歩く人、川で泳ぐ人などがはっきりと見えます。ロシアのビザがあれば、黒河から渡船でロシアに入国することもできます。

黒河の市内もロシアがいっぱいあふれていました。道路の標識や店の看板にはロシアのキリル文字が必ずといっていいほど表示されていますし、繁華街では買い物に来たロシア人の家族連れが多く見られます。ハルビンもロシア情緒のある町ですが、密度の濃さでは黒河の方が上という印象でした。

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第18回ツアー(2)

8月6日、私たち夫婦は先行して北京へ行きました。特にどこかへ観光に行きたいわけでも、何かを買いに行きたいわけでもありません。北京行きは今回が11回目。毎回大きな変化に戸惑いますが、それでももはやそれなりに勝手知った町になっています。

敢えて希望することがあるとしたら、「素敵な環境でおいしいものが食べたい」ということ。宿泊するホテルがある崇文門から地下鉄5号線に乗って、5つ目の「北新橋」站で下りると、そこは地元で有名な美食街。そこの「花家怡園」という四合院レストランへ行きました。騒々しい表通りが嘘のように静かな中の空間。北京の友人宅を訪問したかのような雰囲気でした。料理は宮廷料理をベースに創作を加えた料理というところでしょうか。味、盛り付け、量とも上品で申し分ありませんでした。



そうそう。ピグで知り合った方と「オフ会」をしました。ブログやMSNのチャットを通じて知り合った方とは何人もとお会いして貴重な縁を結んできましたが、ピグを通じては今回が初めてでした。お会いしたのは北京の大学で日本語を専攻するララさん。ピグの中ではとても礼儀正しくて、自分の考えをしっかりと言える子でしたが、実際に会ってみるとピグでの印象に加えて、おっとりした恥ずかしがり屋、上品なお嬢様といった感じでした。まだ若くさまざまな可能性を秘めている彼女ですが、共通の価値観を確認しながら、今後関係を長く続けていけそうです。

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