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迷上了中国!中国をこよなく愛する夫婦のスペースです。中国のどこかで私たちを待つ人がいる。 |
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yazi撰寫:
「来年の候補地・内モンゴル!」砂漠の次は草原ですか!?今年の冬は雪がよく降るといいですね。その次の夏は草がよく育つと言われます。
6 月 29 日
小球撰寫:
你们好,我刚学日语还不是很好。我家在黑龙江,现在在大连上大学,如果来玩的话有什么困难我很愿意帮忙!
欢迎下次再来!
8 月 26 日
yaziさん:
ちょっとしたハプニングはありましたが、何とか無事に。
「ドラクエ」のような冒険の場面も確かにありました。
(xiong2)
8 月 18 日
yazi撰寫:
お帰りなさい!無事で何より。今回は旅行と言うより「旅」って感じですね。
ドラクエみたいな、勇者と仲間達、みたいな・・・ 物語のような。
8 月 18 日
yazi撰寫:
祝您生日快乐!
8 月 6 日
小球撰寫:
私は大連人です。日本の友達が欲しいです。連絡しでください。
7 月 31 日
YSUMMER撰寫:
如果是去山东的话,冬天去会比较好,冰雪覆盖的大明湖很美,还可以看到趵突泉烟雾弥漫的样子.福建省的话,九月份之后会是比较适合旅行的季节.Welcome to China.
7 月 5 日
pearl撰寫:
初めまして、私は上海出身です。15前から東京に留学し 8年前から 名古屋へ嫁ぎました。両親が亡くなった為 私は 最近あまり中国に帰ってませんでした。あなたの写真を拝見し、 色々な 私が知らない中国が映ってます。 とても 楽しいです、母校 同済大学の写真を見て 私も恩師に会いたくなりました。 これから メンバーになり 拝見させてください。
お願い致します。
6 月 14 日
琴琴子撰寫:
あ、まだ書いてるうちに、添加されました。
今後の中日両国の関係はきっとより良くなると信じています。両国の国民の私たちにとっては、ちょうどいいきっかけじゃないですかと思いますから、お互いのブログを台として、中日友好にも小さな貢献が出来るでしょう。
どうぞ、宜しくお願いします。
5 月 9 日
琴琴子撰寫:
こんにちは。孫さんの大学の同級生の張です。
何回も何か書こうと思いましたけど、何も書かずに時が経ってしまいました。今日やっと書くことにしました。そんなに中国のことを好きにしてくれ、本当にありがとうございます。中国のことを沢山の日本人の方々に紹介してくれ、凄く嬉しいです。
今現在中国国家主席は10年ぶりに日本を訪問していて、今後中日友好について、いろいろ素晴らしい考えを教えてくれました。今後の中日両国がきっとよりよちょうどいいきっかけだと思います
5 月 9 日
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11月18日 新たな店、発見!「通勤の途中に気になる店がある」とxiong2が話していた店に、ひとりで行って来ました。
教えられた場所に行ってみると、xiong2が気になると言った意味がすぐに理解できました。現場は何の変哲もないバス通り。周囲の特段個性のない町並みの中で、その店だけがどこか違和感を感じます。「中国料理・哈尔滨」という店の看板は中国でよく見かける、写真のような背景から文字が浮かび上がったようなデザインのものです。
店の中へ進むと、一瞬で中国へ来たかと思うくらい雰囲気や匂いまで中国そのもの。店員さんは中国人で、会話も全て中国語。日本語しか話せないお客が来たらどうするのだろう。いや、日本人はこんな店に入りにくいか・・・
実はこの時、守口にあるお気に入りの中国茶館「美香茶館」でランチとお茶をいただいたばかりでお腹もすいておらず、ここでは羊肉串を2本ほど食べて帰るつもりでした。
ところが
「2本じゃね・・・。10本ぐらいいっぺんに焼かないとおいしくないよ」
商売魂も中国らしい。
「残ったら持ち帰りしてもいいですか」「いいですよ」と言われたため、結局羊肉串5本と東北料理の代表的な地三鮮を注文したのでした。鉄製の串に刺した羊肉はやや小ぶり。でも味は中国で食べた羊肉串そのもので満足しました。地三鮮もおいしかったのですが、いかんせん、お腹がいっぱいになり半分食べたところでお持ち帰りしました。
「本場のもの」を追求してみても、日本で営業する以上は味なりサービスなり内装なり、どこか日本人の好みに合わせるところがあるものです。ところがこの店はどこを取っても「中国の店」なのです。私はそれが逆に嬉しいのですが、日本人に合わせない以上はすぐに経営が行き詰ってしまうのではと心配しています。現にこの日も客は私一人。近々、xiong2を連れて再度訪れたいと思っています。今度は羊肉串10本以上注文しようっと!羊肉串がお好きな方、中国の雰囲気を味わいたい方はぜひお勧めします。
京阪大和田駅から徒歩2分程度。
中国料理「ハルピン」
(gongzi) 11月16日 台湾料理店yaziさん、心配をお掛けしましてすみませんでしたね。しばらくは何も書く気が起こりませんでした。今は気持ちもかなり回復しました。旅行時に使用している小さめのノートパソコンでこの記事を書いています。
ようやく先々週の食事会について書きます。サンハオ先生の幹事で楽しい食事会を開くことができました。お店は心斎橋近くの台湾料理「宝島」。実は以前、中国とは関係ない別の友人たちと行ったことがあったのですが、ほとんど忘れていました。店長は台湾出身の女性。お店の雰囲気も料理もなかなか本格的でした。
最も楽しみにしていたのが、毎日数に限りがある「しじみの醤油漬け」。台湾ではお酒のあてによく見かけるものですが、にんにくがとても刺激的で、ビールにぴったり。イカ団子の揚げ物や魚のすり身団子入りのスープも台湾らしいものでした。今回のメンバーは13名。食事会でこんなにも集まったことはなかったかと思います。その全員が巨大な丸テーブルを囲んで、素敵な食事会になりました。それにしても皆さん、よくお召し上がりになること...
久しぶりのメンバーはさかさん。まだお子さんが小さく、出産後に外食に出たのはこれが初めてだとか。お店近くのご主人様の会社で赤ちゃんと自動車をご主人様にお任せし、自由と美食を満喫した様子でした。一方初めて参加したのは3名。こちらも今後、おつき合いが末長く続くといいですね。
(xiong2) 11月11日 ついに修理へ。ハードディスクが認識できなくなったパソコンは結局メーカーへ修理に出すことになりました。
サービスセンターの指示に従ってパソコンを診断したところやはり認識されないようで、修理に出せばハードディスクを交換することになると言われました。「迷上了中国!」に関連する写真やビデオデータ、資料はそのほとんどを諦めなければならないことになりました。
厳しい現実にショックからしばらく立ち直ることができませんでした。
昨年夏のツアーまでのビデオデータはそれぞれ保存用のDVDに記録しているのですが、最近編集したものはその編集データとともに消失してしまうことになります。ちょうど今月末の上映会に向けて、昨年末の上海ツアーのビデオ編集が順調に進んでいたので、完全に振り出しへと戻ってしまいました。上映会まで残された時間も少ないのに...
今せめて失われた時間を少しでも取り戻せるように、ビデオテープからの動画データの取り込みを私の旅行用のパソコンでじわりじわりと進めていっています。とにかくハードディスクの交換が早く終わって、一刻も早くパソコンが手元に戻ってきて欲しいと思います。
(xiong2) 11月2日 ハードディスクが起動せず私が自宅で使用しているPCの中にあるふたつのハードディスクのうちの一つが作動しなくなりました。いつも存在していたはずのDドライブが無くなっているのに、唖然。その中に入っていた編集ビデオのデータも写真も動画も全くアクセスできない状態です。
上映会は今月末。昨年末の上海ツアーを調子よく編集していたのに…すべてが無に帰してしまいました。
かなり途中まで進んでいたのに…幸い編集前の元のビデオデータはあるのですが、これを読み込んで一から編集するとなると気が遠くなりそうです。
あ~、どうしよう…
(xiong2) 10月25日 悲情城市台湾旅行の予習として、侯孝賢監督の映画「悲情城市」を見ました。1989年のヴェネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞した20年も前の台湾映画です。
台湾北部の基隆、九份、金瓜石が主な映画の舞台です。日本の支配を脱し、国民党の支配が強まっていく1945年以降の混沌とした数年間を描いています。以前から台湾に住んでいた本省人と大陸から新たに移ってきた外省人の激しい対立と権力闘争の中で、多くの人が亡くなりました。高齢の台湾人が持つ心の傷、暗黒の時代がそこにありました。
何よりも驚いたのは、映画の中で表現されていた深く浸透した日本文化です。畳の部屋であぐらをかいたり、正座して座る台湾人、一家の夕食で家長が飲む一升瓶の日本酒、台湾語や北京語に入り混じる日本語の言葉。この違和感は何だろう。それは紛れもなく、日本が台湾を統治していた証であり、好むか好まないかに限らず、日本の影響下で彼らが暮らしていたという事実なのだと思います。台湾語、北京語、上海語、広東語、日本語…映画の中で多くの言葉が乱れ飛ぶさまは、まさに時代の混沌さそのものだと思いました。
できれば、大陸出身の友人たちと一緒にこの映画を見てみて、感想を言い合ってみたいと思います。
(xiong2) 10月18日 第15回ツアー10月14日 建国60周年に思う。10月1日、中国各地でこの記念日を祝う盛大な式典が行われました。日本で報道されたのは、北京の長安街で挙行されたパレードの中の、軍事パレードの部分だけでした。これが今の日本の中国に対する関心部分ということになるでしょうか。相変わらず偏った報道ですね。
ただ一方で、こんな感想も持ちました。
「中国人は国家に対して何の疑念も持たず、純粋に信頼しているんだな」
中国に住んでいる人たちもその渦中に身を置いていますし、日本や海外に住んでいる中国人たちもただ純粋にこの慶事を心から祝い、先進的な装備の軍隊に祖国の発展を見、心から感動を覚えているのです。
私にも愛国心はあります。自分の故郷の景色、家族や隣人、慣れ親しんだ言葉や文化、そうしたものに愛着を覚えますし、大切にしたいという思いがあります。国旗や国歌にも異論はありますが、人並みの敬意を払っています。ただ、日本の国家や政府、政治団体や特定の政治家に対して、過度の信頼や精神的な依存をするのは危険だという思いがどこかにあります。確かに国家は私たちの暮らしを有形無形に守ってくれる存在ではありますが、同時にその強大な権力の発動によって、国民一人一人の生存権が踏みにじられた歴史的な事実も一方であるのです。最近の政権交代で、民主党や鳩山総理に「私たちの生活のために頑張ってほしい」という期待はあっても、氏や党に信じてついていくということはあり得ないわけです。
中国にも同じことが言えるでしょう。国家のためという大義のもとに個人の権利が侵されることがないか、政治闘争の末に一般市民が犠牲になることがないのか。人間が過ちを犯すこともあるように、国家が誤った方向に向かうことがないのか。歴史を振り返れば、どの国にも起こりうることは明白でしょう。中国人民の盲目的な愛国心は教育の賜物なのでしょうか、でもその純粋さにどこか危うさを感じずにはいられないのです。 (xiong2) 9月30日 レッスン再開およそ2カ月ぶりの再開です。夏の旅行や仕事環境の変化などで長く中断していましたが、昨晩から中国語教室に再び通い始めました。
何よりも孫小姐や3人の同学たちと会うことが楽しみでした。孫小姐も上海に帰って、私と同じ期間休んでいたので、5人が勢ぞろいするのは本当に久しぶりだったのです。
みんなそれぞれに中国の各地へ旅行したらしく、テーブルの上には各地のおみやげが並んで、とても賑やかになりました。中でもユニークなのは、G先生。天津名物の麻花をいただきました。建国60周年を記念する日中合同の演奏会に行ってきたのだとか。趣味で二胡や大阮といった中国楽器を演奏するという話は聞いていましたが、そんな大がかりなこととは。演奏会のパンフレットを拝見すると、会場、主催団体、後援団体もとても立派なものばかりでした。
レッスンで使用する課本が北京語言大学の「漢語口語速成提高篇」へと新しくなり、私にとって新しい課本の初めてのレッスンになるはずでしたが、この日は久しぶりの再会に誰もが興奮して、結局課本を使うことはありませんでした。G先生が上海新天地で見つけたという課本対応のCDを私に貸してくれました。これを活用して、来週から本格的に頑張るぞ~ (xiong2) 9月28日 幸せな一日~相見恨晩今日、今年3回目の上映会でした。
今回はビデオの編集とDVDへの焼き付けが早く終わり、料理の準備も順調。いつもよりかなり余裕がありました。そして、いろんな方のいろんなものがさりげなく私たちを支えてくれているようでした。于小姐からいただいた中国茶器の道具、yaziさんからいただいたサラダ油などの調味料のセット、青島でfeifei小姐からいただいた実家で作った無農薬の崂山绿茶の茶葉、まるで彼女たちと一緒に上映会を楽しんでいるかのような思いでした。
中でも大きな存在感で楽しませていただいたのが、サンハオ先生が青島から持って帰ってきた5リットルの巨大なビール樽でした。彼はいつも自宅から自転車に乗ってくるのですが、樽に濡れたタオルや氷、新聞紙(しかも念を入れて中国の)を厳重に巻きつけて、自転車のかごに載せながら、延々1時間近くかけて樽を揺らさないように持ってきたのです。その樽の大きさに思わずみんなで歓声をあげたのですが、どうコップに注いでいけばいいのかよくわかりません。恐る恐るキャップをひねりながら、ビールがちょろちょろと出てきた時には拍手が起こったほどでした。飲んでみると、やはり普通に日本に輸入した青島ビールよりも新鮮でおいしい感じがしました。ん~、重たいのに青島から持って帰ってきた甲斐がありましたね。
今回初めて参加したのは、謝小姐です。とても稀な出会いです。張先生から「青島で会ってほしい人がいる」と頼まれたのが、彼女のお母さんでした。結局私たちは彼女本人に会う前に、お母さんやおばさんに会い、とても心温まるおもてなしを受けたのでした。こんなことは初めてで、その中国人らしいつきあい方がうれしくもあり、とても不思議な感覚でもありました。
結局、青島から戻ってきて、1か月余りでようやく会うことが実現したのです。期待を裏切らない素敵なお嬢さんでした。彼女のおばさんが繰り返し、とてもよくできた子だと言ってたのがよくわかります。6年も前から日本で暮らしてきたと。1か月と言わず、何年も出会うのが遅かったかもしれません。
とにかくも、いつもどおり多くの友人たちとともに楽しい時間を過ごすことができて、とても幸せな一日でした。 (xiong2) 9月25日 昨年夏のツアー編集終わる。 |
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