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September 13 母と北京へ母と北京へ行ってきました。母にとっては初の海外。9月1日からわずか3日間でしたが、中身の濃いものになり親子共々大満足でした。 1日目は天安門広場から紫禁城へ行ったあと、新しく整備された前門の大柵欄でお茶葉と母の希望だった三国志グッズを買いました。夕食は北京ダック。その後足裏マッサージへ行きました。
2日目。万里の長城(八達嶺)へ行ったあと、昼食は宮廷料理の店へ。北海公園の散策、後海の胡同めぐり、動物園でパンダや金丝猴を見たあと、景山公園の万春亭にのぼり北京の広さに浸りました。夕食はイスラム料理。続いて京劇鑑賞。その後2度目の足裏マッサージへ。
3日目の朝、ホテルの朝食会場で太極拳を間近で見ることができました。ここまで不思議なくらい順調で、当初連れて行こうと思っていた所は全て行き尽くしました。最後に、お土産を買うのも兼ねて日系のスーパーマーケットへ。母はスーパーで働いており、興味があると思ったからです。
「お米10キロ50元だって。それっていくら?」
「中国のスーパーではレジ袋は全て有料なんだね」
「お惣菜売場は、日本と売ってるものが全然違うね」
などと目を輝かせて見ていました。帰国してからも、同僚たちに「北京のスーパーへ『偵察』に行ってきたよ。あそこはね・・・」などと話し、ここでのことは大いに土産話になったそうです。
母は旅行中不安を全く感じなかったとのこと。元気でいるうちに、またいろいろなところに連れて行きたい。そういう思いが強くなりました。
(gongzi) September 09 刺桐刺桐(ザイトン)とは福建省泉州市の旧称です。中世には海のシルクロードの東洋の起点として、またインドやアラブ、西洋とを結ぶ東洋最大の貿易港として繁栄しました。
福州からは南へおよそ200km。高速バスに乗って、日帰りで観光に行ってきました。
福建省は複雑な海岸地形と山がちな地形が特徴です。海の交通は古くから発達していましたが、陸上交通、中でも鉄道については、福州、泉州、厦門(アモイ)などの主要都市間を最短で結ぶルートがこれまで無く、乗り継いで行けば丸一日以上を費やすというありさまでした。その分、整備された高速道路を利用したバスに乗るのが便利ですが、近々新幹線専用線が開通し、より時間短縮になるとのことです。
前置きが長くなりましたが、この泉州の印象は福州とはまったく異なるものでした。わずか200kmを隔てただけで、この違いです。強い日差し、赤い屋根や壁、華南地方特有の2階部分が通りに突き出した建物。かつての繁栄の名残りもあります。創建からちょうど千年になるイスラム教寺院「清浄寺」、航海の無事を祈った「天后宮」。無料で見学できる「海外交通史博物館」には、海底から引き上げられて復元された船やさまざまな時代の船の模型、鄭和の大航海やかつての刺桐の反映ぶりなど興味深い数々のテーマが展示されています。
赤い壁、赤い屋根
どこか懐かしい雰囲気が漂う町並み
イスラム寺院の裏門。周囲の景色と調和しています
石碑はすべてイスラム文字
イスラム寺院の内庭。かつてはここで礼拝していました
開元寺の赤い屋根
海の歴史にあいまって、この地から海外へ活路を見出した人々もいました。世界各地の華僑の人たちです。この町には、大学や公共施設など、 華僑の援助が至るところに存在しています。同じような例は、広東省の江門を訪れたときにも見かけました。華僑の人たちの団結心、故郷を思う強い気持ちに敬意を表します。 (xiong2) September 08 林則徐福州の郷土の英雄です。彼の名前は広場や道の名前に冠せられ、この町の人の誇りになっていることがよく分かります。
陳瞬臣の「阿片戦争」を読んだことがあります。主人公がこの林則徐です。清の道光帝から欽差大臣(特命大臣)に任命され、広東省でアヘンを
取り締まったのが彼です。 市内にある「林則徐紀念館」へ行ってきました。美しい庭園を備えた邸宅といった感じです。外の喧騒が嘘のように静まった空間では、鳥のさえずりや風の音までが聞こえます。
展示の内容はとても興味深いものでした。わかったことは、彼が優れた行政官だったことです。専ら地方への赴任を繰り返し、行った先々で多くの業績を作っています。アヘン戦争の勃発後は一時期新疆に左遷された時期もありましたが、そこでも庶民の暮らしに直結した業績が多数遺されていました。また彼の姿勢は常に清廉潔白で、西洋列強の情報を入手し、把握していたこともわかりました。後の近代海軍の創設の基礎となったとも言われています。
彼の歩みをこうして概観すると、アヘン戦争でいきなり歴史の表舞台に立ったのではなく、アヘン戦争のあの場面は彼の長いキャリアの中の一つに過ぎなかったのだと気付かされます。 優れた為政者を祭る例としては、成都の諸葛亮(三国時代)、合肥の包拯(北宋)が記憶にありますが、それほど中国の長い歴史の中でも極めて少ないということです。少ないからこそ、彼らの業績がいっそう際立つのです。しかし、それを否定的にとらえるのではなく、現実の人間社会の中で稀に成し得た彼らはやはりたたえられるべきだと考えるのです。 (xiong2) September 05 福州最初の夜とにもかくにも、飛行機はほぼ予定通りのフライトを経て、福州長楽国際空港へ到着しました。
初めて乗る深圳航空の飛行機
着陸直前、空から地上を見ると、長い砂浜の海岸、所々岩が露出した男性的なシルエットの山々、美しい水田、大地の濃い緑がとても印象的でした。どこか少し南国の雰囲気。期待が一層高まりました。
夕方の交通渋滞もあって、市内中心部のホテルに到着するとすでに真っ暗でした。8時を過ぎて、ホテルの周辺を散歩することにしました。
夜の五一広場。「子供は寝なさい」なんて言われないか…
于山堂の毛ちゃん像も夜の賑わいに何だかうれしそう
まず、驚いたのは人の多いこと。デパートはまだまだ混雑していますし、広場には合唱する人、ダンスを踊る人、凧を揚げる人や語り合う人など、無数の人が思い思いに過ごしています。思い返せば厦門(アモイ)でも、海岸沿いの公園で無数の若者、親子、老人があふれていました。ここは暑い地域なので、昼間ではなく夜の涼しい時間が貴重なのでしょう。
(番外編)ジェット・リーの広告。ん~、牛乳を飲むと強くなれそうだ
(xiong2) September 04 いまだ暑い福建省へ独身時代はもっぱら一人旅でした。日本国内で好きだったのは北海道。
人よりも牛や鹿が多いという広い大地は私にとって大きな魅力でした。 海外では、ヨーロッパ。ウィーンやザルツブルグなど中世に繁栄した古都が好きでした。 一人の旅は周囲の環境にとても敏感になります。
人々の会話、空気の匂い、鳥のさえずり、都会の中の何気ない景色...
その五感の鋭さは誰か家族や友人と共にいる時の比ではありません。
不安もうれしさも開放感もまたひとしおです。
中国への一人旅は5月の大連以来です。
どんな人が、景色が、私を待っていてくれるのでしょうか。
この期待と不安のないまぜな感覚がたまらないですね。 それでは、行ってきます! (xiong2) August 30 もうすぐ9月です。先週、急な人事異動を申し渡されて、1日から新しい配属先へ行くこととなりました。いわば、最前線の花形部署。忙しくなるぞ~
というわけで福州への旅行も危ぶまれたのですが、そこは何とか乗り切ることができました。
同じく1日、gongziが長年希望していた母親との旅行で、北京へ行きます。わずか3日間ですが、彼女がなぜここまで中国を愛しているのか、その一端を見てもらいたいという思いが実現するのです。母親は初めての海外、今回のためにわざわざパスポートを申請しました。1回行ってみて、また行きたいと思うかもしれませんね。
27日には今年3回目の上映会を開きます。また、新しいメンバーの広がりがありそうな予感です。楽しみというか、必ず会わないといけないと思っているのが、青島から預かってきた眼鏡を渡さなければならない張先生の友人。私たちの気持ちも一緒に渡したいと思います。 (xiong2) July 13 ていいんさん9月初めの福州行き、結局一人で行くことになりました。福建省は3年前の厦門(アモイ)に続いて2度目。現在は関空から直行便が週3便運航されていて、とても便利です。
観光もそうですが、何といってもいちばん楽しみなのがていいんさんとお会いすることです。彼女とはこのブログを通じて2年半ほど前に知り合い、メッセンジャーなどでしばしば密度の高いやり取りを続けてきた人の中で、まだ会うことが実現していない「最後の大物」です。互いにおおよその生活状況を知っていて、ものの考え方や性格もわかっているつもりなのですが、いかんせん海を隔てた遠い地に住んでいますので。今度こそ会いたい!というのが、私の素直な気持ちです。
彼女の方も仕事でない時間に私のお相手をしていただけるということで、うれしい限りです。きっとこれまで同じようにして知り合った理沙さんやyaziさんたちがそうだったように、初めて会うのに初めてでないような錯覚があるんでしょうね。 (xiong2)June 26 夏の予定2回中国へ行く予定です。
8月は「迷上了中国!」の第14回ツアーです。目的地は山東省。青島を拠点にして、済南、泰山、曲阜などに行こうかと計画しています。8泊9日の日程で、メンバーは私たち夫婦を含め5名。青島ではちょうど「国际啤酒节(国際ビール祭り)」の期間。おいしいビールが飲めそうです。
9月初旬に福建省の福州へ行く予定です。日程は短く4日間程度。恐らく1人でとなりそうです。こちらも現地の友人に会えたらという希望があります。可能であれば、泉州という町まで足を運びたいと思っています。おいしいお茶が飲みたいなあ~ (xiong2) May 15 明日朝、大連へ。中国へ1人で行くのは、昨年3月の上海以来になります。大連は2007年の8月以来。 飛行機のチェックインも先ほどウェブで終えました。あとは関空へ行くのみ。
于小姐と会えないのはとても残念ですが、彼女も申し訳なく思ったのかいろいろと心遣いしてくれました。何かあったら連絡してくださいと、市内に住む彼女のお母さんの電話番号も教えてくれました。いや~、日本語がほぼ通じないお母さんと何を話せばいいのやら。それともお会いして、太極拳でも教えてもらいましょうか。とにかく明るいお母さん。
宇ちゃんとは電話で連絡を取り合って、ホテルのロビーで待ち合わせることになっています。1年ぶりの彼女、少し大人っぽくなったかな?彼女の出身の吉林省で有名な食堂が大連にもあります。明日はそこへ食事に行こうと話しています。 (xiong2) September 02 今日帰ります。昨日はようやく晴れ間が。雨上がりで空が美しく感じます。
gongziが体調不良で夕方までは私一人で町の探索。延々と路線バスに乗ったり、路地裏を当てもなく歩いたり。そうそう、青島ビールのロゴデザインにもなっている「桟橋」の「回瀾閣」にも行きました。ここは間違いなく青島のシンボルの一つです。
かつてはドイツや日本の軍事脅威に備えて造られたとか。今では美しい観光の名所。
旧市街を歩くと、歴史を感じる建築物にたくさん出会います。
シンボルといえば、gongziと一緒に行った「五四広場」の「五月の風」という巨大なモニュメントもそうでしょう。ここからは北京オリンピック、そしてもうすぐ始まるパラリンピックのセイリング競技の会場が見えます。
今回は天候不良などもあって、十分に青島を堪能したわけではありません。夫婦共々今回は時間に追われる旅をしたくないという思いもありました。残りの見どころ、楽しみはまた次回に。早ければ、来年の夏にもう一度来るでしょうか...
青島は一年のうちで夏が一番いいんじゃないかなと思います。
(xiong2) September 01 書店で出会った女性昨晩の夕食後xiong2と別れた私は、近くの書城に行きました。HSK教材を買うためです。
中文教材コーナーはHSK教材が設けられており、外国人とおぼしき人が数名書籍を見ていました。夜だったためか客はあまりおらず、ゆっくりと見て回ることができました。平積み書籍を眺めていると、突然「探しているものは何?一緒に探そうか?」と声をかけてくる女性がいました。その女性はfeifei小姐といい、外国語学校で中国語教師をしているとのこと。彼女の手を借りて私の希望する教材を探しました。また、私が欲しい教材はテープやCDが付いていたのですが、「付属CDは1階に置いているの。ここはそういうシステムなの」と親切に教えてくれ、レジやCDの陳列場所まで一緒に来てくれました。私はさすがに申し訳なく思い、「私に付き合ってくださって、先生のご用事はいいのですか?」と聞きました。そうすると「いいのいいの、今日はちらっと見に来ただけだから」と事も無げに言いました。そして「青島にはいつまでいるの?次はいつく来るの?これ、私の連絡先だから。困ったことがあったらいつでも言って」と携帯番号とメルアドを教えてくれて、颯爽と去っていきました。
彼女の教え子は韓国人ばかりで、日本人と接することはほとんどないとか。そんな彼女だから、書籍を探す私を見て普段接している学生と重なったのでしょう(実際、私を韓国人だと思っていたとのこと)。私も普段留学生たちと接する仕事をしていますから、feifei小姐のようなただ職務的な理由からだけではない、やさしさをもつ人間になりたいと改めて思いました。
(gongzi) August 31 青島ビール博物館今日の青島は終日あいにくの天気。雨脚はさほどではないのですが風が強く、傘がほとんど役に立ちませんでした。観光日和ではなかった今日、唯一の収穫だったのが「青島ビール博物館」。通称ビール街の登州路にそれはありました。
チケットを買って敷地内に入ると、どこからともなくパンを焼くような香ばしい匂いが。ふと上を見上げると、建物の屋上からもうもうと煙が出ています。そう、ここはただの博物館というのではなく、現役の生産工場だったのです。とすると、この充満した匂いはビールを醸造する匂いということでしょうか。
広くて長い見学ルートは、まず最初にこの工場の100年以上にわたる歴史の史料展示。青島がドイツの租借地となり、その後すぐドイツ人技師が来て生産を始め、第1次大戦後は後を受けて統治した日本の会社が生産を続け、戦後は中国人の手で生産を担ってきた...簡単にいうとそんな歴史です。私が知らなかったのは、その日本の会社が大日本麦酒という会社で、戦後間もなくの財閥の解体によって、現在のアサヒビール、サッポロビールと分かれていったということです。その縁によるのでしょうか、現在青島ビールの日本での輸入・販売はアサヒビールが請け負っていますし、中国大陸では青島ビールとアサヒビールの合弁会社が「朝日ビール」の生産・販売を行っています。
歴史の展示の次は、生産工程の見学です。初めは人形などを使った創業当時の生産の様子、実際に醸造などに使った設備も展示していました。最後は現在稼動中の生産ライン。これは日本のビール工場でも見ることのできるお馴染みのものです。個人的に面白かったのは、青島ビールのさまざまなラベルの展示でしょうか。現在でも何種類ものビールが販売されていますが、一見してどれが高価な銘柄か、廉価な銘柄かなどが実は私にもわかりません。また似たような名前やデザインのものは中国でよくあるコピー商品のように見えなくもなくて、スーパーなどではこれまで手に取るのを躊躇するほどでした。創業当時からだと実にさまざまなラベルが。え、これも青島?というネーミングのものも少なくありませんでした。
と、ここまでは自分の目を使い、足を使っての見学でしたが、飲兵衛の読者の皆さまの関心はたぶんこうでしょう。
ビールの試飲はないんかい!
はい、ご心配なく。あります。それも2回。
つまりこういうことです。見学の途中に一つ目のバーがありまして、そこで少量いただけます。ここで味わうのはろ過されていない原酒で濁った状態のものです。濃い麦の香りと独特のざらざら感があり、正直おいしいと感じました。次に見学をすべて終わったところに2つ目のバーというよりビアホールのようなところがあります。ここでは一人当たり500mlの生ビールを味わうことができます。こちらはろ過されたいわゆる普通の生ビールなのですが、工場でのできたてだからでしょうか麦の味わいがとても芳醇といった感じでした。明らかにこれまで飲んできた青島ビールとは違います。この量で足りない方はもちろんお金を払ってさらに飲むこともできますし、博物館を出た通りに立ち並ぶレストランでおいしい料理と一緒に味わうこともできます。まあ、あんまり飲兵衛でない私には、これで十分ですけどね。
(xiong2) August 30 青島到着。私たちが滞在しているホテルの窓から見た青島市内の現在の様子です。
到着した昼ごろはよく晴れていましたが、天気予報とタクシーの運転手さんの予想どおり、夕方から雨が降り出しました。
気温は大阪よりも低く、最高でも27度ぐらい。風が吹くと初秋のようで気持ちがいいです。
私たちが搭乗したNH157便は定員が120名程度のA320型機でしたが、乗客は4分の1もいなかったでしょうか。ほとんど空席でした。青島流亭国際空港に着くと私たちのほかは入国審査を受ける人もなく、その場で入国カードを記入していると、「ぼくが書いてあげるよ」と審査官の一人がgongziのものを書いてくれました。私たち2人が審査を終えると審査官の人たちが一斉に立ち上がってどこかへ退去していったので、きっと早く終わらせたかったのでしょう。
私たちが今回利用するホテルは青島の新市街にあたる「香港中路」にあります。青島は海岸線に沿って長く延びる町で、ドイツの租借地時代から栄えた旧市街と後から開発された新市街に分かれます。私たちのホテルの周囲には、大型のショッピングモールや高級ホテル、新しい商業ビルなどが林立していますが、旧市街に行くと歴史を感じさせられるキリスト教の教会やどこか西洋風の建物、VIPの保養地といった風情の地区などがあり、その景観は対照的です。そして、広く延びる海岸線には数多くの海水浴場があり、街中を水着で歩いている人も見かけました。中国のどこの町とも違う個性があちらこちらにありました。
今回は特に予定に追われることのないゆったりとした旅行を考えています。そのときの気分、体調、天候に合わせて行動を決めます。でもできれば、張先生やdavid-doudouさんに紹介していただいた場所のひとつにも足を向けてみたいと思います。
(xiong2) 明日、青島へ。まだ西安の旅行記も書いていないというのに、次の旅行に出ます。
初の青島。初の山東省です。
ドイツ風の町並み、美しい海の景色、おいしいビール、海鮮料理といろいろな魅力、イメージがあります。現地で何を見るか、どこへ行くかはまったく決めていません。西安の旅行は常に動き回る活発的な旅でしたが、今回はあまり予定を立てず夫婦でのんびり過ごしたいと思います。
日程はわずか4日と短いですが、これで終わるわけではないと思っています。次の機会のための下見ぐらいに思っています。青島へ2度行ったことがあるという張先生、青島ご出身のdavid-doudouさん、貴重な現地情報をありがとうございました。
次は青島からブログをアップしたいと思います。
(xiong2)
August 25 ハルビンと函館武吉老師といろいろ話があった中でひとつ印象に残ったのは、老師が戦前ハルビンに住んでいた思い出についてでした。当時のハルビンは一種の国際都市で、新京(長春)や奉天(瀋陽)、大連とは異なり、中国人と白系ロシア人、日本人が同じ地区で分け隔てなく一緒に暮らしていたというのです。当時武吉少年が暮らしていた家の裏手にはロシア人一家が暮らしていて、彼らとの日常的な触れ合いから寒さ対策の合理性を学んだのだそうです。なるほど、昨年夏のハルビン滞在では武吉老師の話を裏付ける数々の出来事がありました。ソフィスカヤ寺院で見た戦前の町の写真を見ると、日本語が書かれた商店の隣にはロシア語の商店がありました。ハルビンで夕食をご一緒した佐賀県からお越しの「なべしま」さんご夫妻の亡くなったおばあちゃんの話もとても興味深いものでした。そのおばあちゃんは青春時代にはるばるハルビンへ渡ってきて、電話交換士の仕事をされていたそうです。おばあちゃんが生前によくしていた話に「銭湯で見た白系ロシア人の肌が透き通るようだった」などロシア人の話がしばしば登場したそうです。それほどに互いが身近に暮らしていたということだと思います。
ここまで話を聞いて突然、私の頭の中の別の記憶が急に甦ってきました。北海道の函館が20世紀の初めごろに、このハルビンと同じような雰囲気を持っていたようなのです。函館には私が心から愛しているフレンチのレストランがあります。「五島軒」とラーメン屋さんのような名前の店ですが、建物が文化財に指定されているほど歴史の古い店です。重厚な造りの店内には昔の函館の写真や文物を展示している部屋があります。この店を2度目に訪れた5,6年前に偶然お会いした先々代の当主の方のお話が武吉老師のお話とまるで同じでした。早くから外国に開放した港町だった函館は自由で洗練された雰囲気を持つ国際的な町で、この方の小学校の同級生にはロシア人も中国人も朝鮮人もいたのだと。
昨年のハルビンでは日本人の観光客はほとんどおらず、私たちが宿泊したホテルも外国人の大半はロシア人でした。地理的にロシアから近いこともあるのでしょうが、多くのロシア人が暮らしたこの町に対して、多くのロシア人がある種のノスタルジー(郷愁)を感じることは間違いないようです。いずれにせよ、現地で暮らす中国人をはじめ、観光でやって来るロシア人も日本人もあるいは韓国人も互いに警戒心を向けることなく友好的に同じ場所で過ごすというのは、20世紀の初めごろとは状況もかなり違うのでしょうが、悪くない感覚だと思った次第です。
(xiong2) June 15 黄金周の北京のホテルたとえ1日とはいえ、その短くなった影響は大きいものでした。当初は中国に滞在する中2日の日程を利用して、北京から鉄道で3時間かけて秦皇島へ行き、そこでの観光を存分に楽しむはずでした。しかし、中1日ではもはや物理的に不可能で、この旅行の最大の目的をあきらめなければなりませんでした。私たちは仕方なく、鉄道のチケットと秦皇島のホテルを手配してくださったheye小姐と、偶然埼玉から帰郷していて、秦皇島で一緒に夕食をと約束していた李小姐に関空から電話し、キャンセルを伝えたのでした。さて、次の問題は北京でのホテルでした。元々秦皇島で1泊する予定でしたので、その分のホテルを代わりに押さえなければならなかったのです。これは関空のベンチで私のノートPCで検索し、gongziが国際電話をかけて予約することができました。
そのホテル「王府井大飯店」は王府井の歩行街の北の外れにあるホテルで、ランク付けでは4つ星ということになるそうです。以前、そこから近くの金魚胡同にある「王府飯店(ペニンシュラホテル、現在の王府半島酒店)」に泊まったときに何度もタクシーで通り過ぎて、知っていました。ホテルの部屋はまずまずでしたが、素晴らしかったのは、部屋の窓から、ちょうど故宮の方向を見ることができ、夕陽が沈む「万春亭」がとても美しいものでした。それから、従業員の態度が総じて親切なものでした。特に感心したのは入り口のドアボーイで、私たちがタクシーから降りると、すばやくタクシーのナンバーを書き取り、何かトラブルがあったらということで、そのカードをくれたことでした。たしかにタクシーのトラブルはしばしば発生するので、私たちは自衛策として必ずレシートをもらうということをしているのですが、ホテルでこのようにしてくれるのはとてもいいことだと思いました。
ホテルの正面はいたって普通 ホテルの部屋から故宮が見えます
そして2泊目は、元から旅行会社を通じて予約していた「北京飯店莱佛士」です。実は先述の「王府飯店」に泊まったのは、私たちの意志ではありませんでした。「中国語の教科書にも出てくる有名な北京飯店に一度泊まってみたい」ということで、北京飯店を予約していたのですが、いかにも中国らしいといいますか、急に国の重要な会議を開くことになったからということで、別のホテルに変えさせられたのです。そして今回、初日に泊まるはずだった「北京飯店」も飛行機の引き返しであえなくキャンセルとなり、よほど縁がないのだなと思っていたのです。ところがこの「北京飯店莱佛士」、つまりはシンガポールのラッフルズホテルの系列なのですが、場所は東長安街の「北京飯店」と「貴賓楼飯店」の間、しかも互いのホテルがつながっていて外から中から自由に往来できるのです。つまり、北京飯店そのものなのです。ああ、ようやくにして、来ることができたんだとチェックインの時に実感することができました。しかも、西洋的な趣味で統一されたホテルロビーの装飾。オーストリアの首都ウィーンに滞在した時のインペリアルホテルのことを思い出しました。それほどに中国らしくない空間だったのです。ところが客室に案内されるとまた驚きました。こちらはシノワズリーというのでしょうか、ヨーロッパ的な趣味と中国的な趣味が見事に調和した空間だったのです。骨董品といっても差し支えないような古い籐製品、ティッシュペーパーの箱は金魚の刺繍が入った絹のカバーがかけられています。そして、部屋の仕様も並みのホテルとは違っていました。まるでスウィートルームのような両開きの扉、シャワールームと浴槽は別々の部屋、洗面台も二人が別々に使えるよう2つに分かれていました。1泊だけというのがいかにももったいない感じがしました。
昨年泊まった西単の「グランドメルキュール」という4つ星のホテルも最上階のビジネス用ルームは専用のフロントや朝食のレストランがあり、室内の装飾もこのクラスでは申し分のないものでした。この夏のオリンピックに向けて、多くの外国人観光客を当て込んだこうしたホテルが次々にオープンしている印象がありました。それにしてもタクシーの運転手、どうも外国語は苦手なようで、「莱佛士ってどんなふうに読むんだい?」と。次から次から新しいホテルが建っていくので、知らない名前のホテルやホテルの読み方自体もわからないホテルが多いんでしょうね~。 (xiong2) June 10 弯弯月亮実は先月の北京行きで書き漏らしていたことが2つあります。ひとつは宿泊したホテルのこと、そしてもうひとつがこのレストラン「弯弯月亮」のことです。私たち夫婦はこの日本では馴染みの薄いイスラム料理(清真菜、新疆菜)を心から愛しています。北京や上海、杭州とどの町に行っても必ず一度は足を運ぶのがこのイスラム料理のレストランです。どちらかというと大衆食堂、大衆酒場という趣きの店が多い中で、この「弯弯月亮」はなかなかのおしゃれなレストランという趣きです。
夕刻、私たちはホテルからタクシーに乗って、東四北大街のある場所で降ろしてもらいました。細くまっすぐに伸びる路地。どうやらこの先に目指す店があるようです。日が沈んだ直後でしょうか。すでに周囲は急速に暗くなりつつあります。しかし家々の明かりが灯るにはまだ早いといった時間帯です。見るもの見るものに足を止めては写真やビデオを撮って、15分ほど歩いた先にこの店がありました。概観も内装も緑の色が美しいのが印象的です。胡同の周囲の庶民的な生活感漂う雰囲気からは少し飛び出した感じでした。
夕食には北京在住のheyeさんをお誘いしていました。私たち夫婦が予約していた席にかけてメニューを眺めていると、すぐに彼女がやって来ました。「ちょっと分かりにくい所ですよね~」と開口一番。でも、すぐにお店の雰囲気に満足した様子。そういえば、中国の若い人たちに交じって欧米系の客が多いようです。しかも時間が遅くなってからも次々と店に入ってきます。それもそのはず、《Time Out》という英文旅行雑誌から、2008年の最優秀地方料理レストランに選ばれていたのです。これを見た欧米人がこの店に足を運んでいたというわけです。
料理もなかなかでした。定番料理がおいしいのはもちろん、意外にも自家製ヨーグルトが素晴らしいものでした。きっちりと冷やされ、スプーンですくうととてもクリーミー。食後のデザートというより食前にいただくのがいいかと思います。そして、空港の土産店や北京・上海のデパート、どこを探しても見つからないのが、新疆名産の石榴(ざくろ)のワインです。レストランには置いていますが、店では売っていません。この日も店員に尋ねると「新疆で買えるよ」。分かってるがな...
「大盘鸡」は鶏のごった煮。ジャガイモが最高。 「烤羊排」は羊肉のロースト。臭みは無い。
自家製ヨーグルトと石榴のワイン
さて食事も終わりに近づくと、店員たちが一つのテーブルに座って食事を始めました。まあ中国ではよくあることです。日本では店員が食事をする姿を客に決して見せないですが、中国では「生きてるんだから、食事をするのは当たり前でしょ」ってな感じです。しかも私たちが聞き取れない言葉でワイワイと楽しそう。見ればどの娘さんも彫りの深い美しい顔立ちです。カメラのシャッターをお願いすると嫌な顔をせず、気軽に応じてくれました。テーブルで見ている老板らしいおっちゃんが「もっと脇をしめて、カメラをしっかり固定して。背景に壁の絵がちゃんと入るように」とやんややんや。そうして撮ってくれたのがこの写真。
どうもありがとうございました。
(xiong2) May 09 人民大会堂北京からの遠出を断念した私たちは、途方に暮れることになりました。いえ、別に観光なんかしなくてもいいのです。北京は何度も来ているし、別に見に行きたいところなんかない。
そう思っていたのでしたが、今回は意外と北京初心者のような観光になってしまいました。その一つは、私たち夫婦が北京の中でいちばん大好きな場所の一つ「景山公園」。紫禁城の堀を造る際に余った土を積んだと言われている小高い「万春亭」から眺める故宮の瓦の重なりを見るのが好きなのです。時間は日暮れ時。空が紅く染まっていくのに合わせて、故宮も一層赤みが増していくのです。今回は3時間近くいたでしょうか。でも私たち以外にもたくさんいました。中国人、韓国人、フランス人、スペイン語を話す人、英語を話す人。言葉が違い、通じなくても、時の移ろいを忘れて飽きずにじっと同じものを眺めている。なんて幸福で贅沢な時間でしょうか。
帰国の前のわずかな時間。ホテルをチェックアウトした後、私たちは人民大会堂を見学に行きました。いつも横を通り過ぎるだけで、今まで行ったことがなかったのです。ちょうどこの日は胡錦濤さんが来日する日だったので、経験上道路が渋滞するのを避けて、早めに出発しなければならないと焦っていました。 わずかな距離ではありましたが、ホテルからタクシーに乗って東長安街を天安門の方に向かうと、信号が赤く点灯して一向に変わる気配がありません。よく見ると、交通整理の警官が多数配置され、広い通りの最も中央寄りの車線に規制が張られていました。3年前の北京でも同様の経験があり、昼食のレストランに遅れるということがありました。これはひょっとして!と、中南海の方角から建国門の方角に警察車両に誘導された何台もの黒塗りの車が私たちのタクシーのほんの数メートル隣を猛烈なスピードで通り過ぎていきました。一瞬にして主席の一行だったと確信しました。運ちゃんに尋ねると「そうだろうよ」と返事を返してきました。よーし、これで帰りの渋滞の心配がない。
ところで、人民大会堂は日によって参観可能な時間が変わります。この日は午前8時半から午後2時まで。私たちが到着した時には大きな団体客が入ってしまった後。比較的空いている状況で広い内部を見て回ることができました。それにしても豪華な部屋の数々。ここにこれまで内外の多くの賓客や政治家たちがいたのでしょうか。部屋にはそれぞれ「湖南廰(湖南の間)」「廣東廰(広東の間)」などと省や直轄市の名前が付けられています。壁の銘板から、それぞれの省や市が分担して部屋の装飾・管理に当たっていることが分かりました。
(左)湖南廰 (右)上海廰 それぞれの地方の特色が出されているのでしょうか?
ちなみに湖南省は毛沢東さんの出身地。上海は江沢民さんが市長を務めた市です。
そして、何より素晴らしかったのは「万人講」と呼ばれる全人代のテレビ中継で見かけるあのすり鉢状のホールですね。私は別に共産主義や中国共産党を崇拝するわけでも何でもないですが、素直に「テレビで見るあれだ」と。これはこれで楽しい経験となりました。
人はもちろん、誰もいませんがね。 うれしくて記念撮影!?
(xiong2) May 03 まさかのUターン大阪は朝から天候が晴れ。絶好の行楽日和、さぞかし北京は暑いんだろうなと、覚悟を決めて空港へ行きました。今日は2番目の出国ピークに当たる日で、確かに安全検査や出国手続きにはいつもよりも時間がかかりました。
私たちが搭乗したANA159便は満席状態でしたが、エコノミーの席の中でも足が伸ばせて、食事や飲み物の配付もいちばん早い最前列の席。食事をいただき、映画を見ながら、気が付くと飛行機は徐々に高度を下げてきました。ああ~、もうすぐ中国。
と、その時、機長のアナウンスがあり、その内容に思わず耳を疑いました。「北京の管制官によると、悪天候によりすべての航空機の離陸と着陸を見合わせているとのことです。当機としては、北京上空で天候の回復を待つか、天津など近くの空港に着陸するか、関西国際空港へ帰るかの選択肢がありますが、燃料の残量の問題もあり、私の判断で関西国際空港へ引き返すこととしました」。
?????
というか、もう中国上空じゃん。しかし、本当に帰ってきてしまったのです。しかもダメを押すように「当機は関西空港で、このまま欠航とすることが決まりました」。おいおい、ちょっと待てよ。長く待たされた挙句に飛行機から下ろされ、入国審査へ向かうと、見慣れないスタンプを押されました。
VOID 出国中止のために出国証印は撤回する
無かったことになったわけですね。で、このまま私たちのGWの優雅な休暇までが無くなってしまうのか...「翌日朝の便に振り替えることができます」ということでした。私たちの場合、3泊4日の日程のうち中の2日を使って、秦皇島へ行くことにしていました。その予定をキャンセルして、北京滞在のみということであれば、たとえ3日間でも何とか行けないこともありません。ただし、4日晩の北京のホテルだけは自分たちだけで何とか手配しなければなりませんでした。早速ノートPCを起動させ、WEBで北京のホテルを検索して、gongziが電話を入れて、王府井近くのホテルを押さえました。今回の旅行の重要な要素をいくつも犠牲にしなければなりませんが、何とか行くことはできます。
このあたりのめどが立った後、北京で列車のチケットや秦皇島のホテルの手配をしていただいたheyeさんと、秦皇島で私たちを歓待しようと準備してくれていた李小姐にお詫びの電話を入れました。私たちの事情では無いとはいえ、お二人に本当に申し訳ない気持ちです。それと、本当は今晩、東長安街の北京飯店に宿泊する予定でした。さまざまな歴史上の事件の舞台となった有名なホテルであるというだけではなく、中国語を学ぶ人にとっては、教科書にも出てくる有名なホテルとして、憧れもあるのです。実は3年前にもここに泊まろうと予約したことがありました。ところが急に重要な国際会議の予定が入ることになり、別のホテルに宿泊させられたのです。あ~、何とも縁の無いホテルです。
(xiong2) April 29 今週末、北京、秦皇島へ。いよいよ今週土曜日です。段取りもいろいろと決まってきました。
今回は全日空の「旅作」を使っていきます。これは全日空のウェブサイトから往復の航空便、現地でのホテル、オプショナルツアーを組合せで予約できるシステムで、大変便利です。料金も通常のツアーで行くよりもかなり安いんじゃないでしょうか。
今回の旅行は3泊4日で、中の2日を使ってオプショナルツアーで山海関(秦皇島)へ行こうとしていました。ところが、北京在住の友人heyeさんが「私もご一緒したい!」ということで、オプショナルツアーをキャンセルし、彼女に列車のチケットと秦皇島のホテルを手配してもらって、3人で一緒に行くことになりました。さらに、秦皇島では、gongziのウェブレッスンの老師、李小姐とお会いすることになりました。彼女は埼玉県在住で、この春、大学を卒業して日本の企業に就職したのですが、休暇を利用して故郷の秦皇島に帰ってきているのでした。gongziは毎週のように画面で彼女と顔を合わせているのですが、私たちが2月に東京へ行った時に、しずくさんたちと食事を共にして、李小姐とも初めて直接お会いしたのでした。中国での再会がとても楽しみです。
昨晩は初日の夜のレストランを電話で予約しました。新疆の地方のイスラム料理店です。2日目の晩は李小姐が選んでくれるそう。こちらも楽しみです。
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